推しの握手会に思うこと②
さて、前回記事の最後に
「自分が推しを応援してるって気持ちを、いつか推しに直接伝えるという夢」を手放しかけていた。
と書いたのですが、じゃあもしも握手会が当選して推しと会うことになったとして、果たしてわたしはまともに推しに自分の気持ちを伝えることができるのだろうか?という疑問がふつふつと沸いてきました。
会いたい気持ちに変わりはない。
変わりはないけど、なんだろう。推しに会うことに怖気づいているような気がする。
なんでそう思うんだろうと考えてみた。
- そもそも推しに対する耐性がない
たぶん、これが大部分を占めるのかなあと思います。
今まで何回とライブに行ってもアリーナなんてほとんど入ったことがなく、たまに入れたと思ったら後ろから数えたほうが早い席。そんな距離から縦横無尽に動き回る推しをオペラグラス越しに追いかけるのが常だったので、段階を踏まずいきなり握手なんて卒倒しそうだ。花道横の通路側の席やアリーナ5列目くらいまでの席を経験しているならまだしも、せいぜいスタンド7列目くらいが関の山のわたしにはハードルが高すぎる。
- 推しがかっこよすぎる
自分で書いててもバカな理由だなあ、と思うんですが残念ながら大真面目なんですよね…
わたしはある一定の距離より先は推しに近づいたことがありません。なので近くで推しを見たことがないんです。だから実際に推しを近くで見たらどうなのかはわからないのですが、SNSなどでレポなどを読むと「イケメンすぎる」だの「スタイルが良すぎる」だのと九割九分書かれています。勿論それを鵜呑みにしているわけではないけれど、会ったことがないわたしでも実物はもっともっとかっこいいであろうことはなんとなくわかる。あんなに遠くから見てもかっこいいのに、至近距離ではもっとかっこいいだなんてきっと直視できない。
- 容姿に自信がない
対してわたしは美人でも可愛くもなく。
数多の客席の中のひとりだとしても推しの視界に入ることを考えて多少見れるようには努力してきた。でもやっぱり美人や可愛い子には勝てるわけがなく、そして推しも男性ならば美人や可愛い子のほうに目がいくはず。たとえ無意識であってもだ。そうなったときにすごく惨めな思いをすることはわかっているので、どうしても尻込みしてしまう。別になにかを期待しているわけじゃない。争う気も毛頭ない。なのになんだか勝手に負けた気になる。そんな自分も愚かだし面倒くさい。
- きっと上手に話せない
耐性どころか根性もないわたしなので、いざ推しを目の前にしたら気持ちを伝えるどころの話ではないと思う。
なにも言えないままフリーズするか、カオナシみたいにあ行を連呼するだけの未来が容易に想像できる。たとえ一瞬だとしてもその一瞬は一個人として推しに認識されるわけで、その大切な瞬間をカオナシで終えるなんてあまりにも悲しい。推しはすぐにわたしのことなんか忘れてしまうとしても、一生の思い出となるはずの瞬間がカオナシだったと思うとあまりにもなんか…なんか…
思い出すたびに悶絶しそう。
ざっと書き出しただけでこんなにあった。
結局どうしたいのか?と自問自答したけど、叶うなら推しに会いたいことには変わりはない。
そもそもの話、まだ握手会の詳細すら出ていない。
なのにどうしてこんなに気を揉むのかというと、たぶん、もしかしたらだけど握手会に参加できる可能性のある自分に保険をかけているのかも知れない。だって、期待しすぎると、はずれたときにがっかりするから。
全部ひっくるめても推しには会いたい。
握手会に参加したことのある人が口を揃えて言う、
ふわふわで大きくて暖かいという推しの手に一度でいいから触れてみたい。